本日の参拝情報
- 通行止めなどの情報はありません
- 拝観時間:午前8時 ~ 午後5時
2025年04月24日
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【通行止め解除】2月28日(金)13:00~裏林道車両通行止め解除のお知らせ2025年03月01日
新しい御朱印 特別朱印『月天子(げってんし)』3月1日(土)~授与開始観音正寺は、今から約1400年前、聖徳太子によって、標高433メートルの繖山の山頂に開創されました。 平地ほど低くなく富士山ほど高くなく、天と地の中間にある寺として、「天空の寺」と呼ばれています。
推古天皇の御代、近江国を遍歴していた聖徳太子は湖水から浮かび出てきた人魚と出会います。 人魚は「私は前世漁師であり、殺生を業としていたため、このような姿になりました。 繖山にお寺を建て、どうか私を成仏させてください」と懇願しました。 聖徳太子はその願いを聞き入れ、自ら千手観音の像を刻み、堂塔を建立したとされています。
この人魚は、ミイラ化して残り寺宝として保管されていました。 残念ながら約30年前に焼失してしまいましたが、残存する人魚の資料や写真を展示しています。 長い歴史の中で、今も日本唯一の人魚伝説が残る寺院として、脈々と受け継がれております。
当山は1400年前、聖徳太子が繖山の山上にて千手観音を彫み、寺を開かれました。 爾来この「お山」は仏教、そして観世音菩薩の聖地として現在まで法灯が受け継がれてまいりました。 また1300年前には日本の巡礼信仰の基礎ともなった西国三十三所観音霊場の札所寺院として、多くの日本人の拠り所とされ、現在でも全国から多くの巡礼者が当山へお参りされております。 現在の御本尊は、前住職の大願によって母なる仏教の国、インド国よりインド政府が特別に白檀原木の輸出を許可し、日本へ輸入され丈六の千手観世音菩薩座像が平成16年(2004年)に開眼されました。 白檀原木の輸出ではヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、また日本の新興宗教の天理教など国、人種、宗教を超えて様々な方々のご協力と日本の仏教徒の強い信仰心にて大願が成就されました。
その後、平成24年(2012年)には平成5年(1993年)の大火にて本堂と共に灰燼に帰した秘仏として千手観世音菩薩のお姿をもとに彫像されました御前立が発見され、それを機に「聖徳太子1400年御遠忌事業」を発願し、聖徳太子が薨去されて1400年目を迎える2022年にその御前立の千手観世音菩薩を開帳秘仏として安置して本開帳を奉修いたします。 古来より伝承されてきました33年に一度、住職一代に一度の御開帳の儀式の再興を目指しております。 また「再興 蘇る悠久の聖地」と題して江戸文化年間に編纂されました「近江名所図会」に描かれている観音堂が滋賀県内の寺院に明治初期に移築されたものが現存しており、第一期工事として、その観音堂を復元し、そして第2期工事では閼伽井堂の再建を進めております。 1400年御遠忌の結願には復元された観音堂に開帳秘仏千手観世音菩薩をお祀りし、当山歴代住職が守ってこられました御開帳の伝承儀式が後の世に受け継がれ、本堂焼失の復興事業を終えることができます。
「仏教詩人 坂村真民の詩に」
一人の祈りを万人の祈りに
一人の願いを万人の願いに
一人の夢を万人の夢に
(タンポポ堂にて)
私にとっての一人の師の思いを、後の世には万人の思いになるよう精進してまいります。 どうか御遠忌事業の大願成就に多くの方々の思いをこの「お山」にお寄せいただきますようお願い申し上げます