「慶長の観音堂」について
江戸時代、物見遊山を兼ねながらの観音霊場巡りが大流行し、西国三十三所観音巡礼が盛んに行われ、観音正寺にも多くの巡礼者が訪れました。文化年間に発行された「近江名所図会」には、かつての当山の伽藍の様子が描かれています。
「慶長の観音堂」再建
江戸時代、物見遊山を兼ねながらの観音霊場巡りが大流行し、西国三十三所観音巡礼が盛んに行われ、観音正寺にも多くの巡礼者が訪れました。文化年間に発行された「近江名所図会」には、かつての当山の伽藍の様子が描かれています。
今からおよそ400年前の慶長年間に西国三十三所観音巡礼の札所の霊場観音正寺は繖山の天辺の観音聖地に観音を祀る御堂が建立されました。
その観音堂が現在でも近江の北の地に現存しており、100年に一度のご縁、聖徳太子薨去1400年御遠忌を機会に再建し、秘仏千手観世音菩薩三尊を祀り、世界平和、人類和合、巡礼文化興隆と、そして何よりも観音の慈悲心「和心」を育み、人々の心の安らぎの御堂とさせていただきたく再建を発願いたしました。
どうか、天辺の聖地、慶長の観音堂再建にご協力いただき、命を授かった足跡を後世に残していただきたくお願い申し上げます。
「慶長の観音堂」再建のご案内